近年、法廷を舞台にした弁護士が活躍するドラマが数あるジャンルのなかでも人気のあり、国内ドラマだけでなく韓流ドラマまでもよくランキング上位に名を連ねています。
証拠をコツコツ拾い集め逆転無罪を勝ち取るなど爽快感を味わえるストーリーが見る人を夢中にさせています。
法廷で活躍する弁護士にあこがれますが、高度な専門性が要求され複雑な紛争を解決する弁護士という仕事は人々から大きな信頼を寄せられる仕事と言えるでしょう。
弁護士になるには、国家試験である司法試験に合格し、合格後に約1年間の期間で実施される司法修習を修了する必要がある大変難しい条件をパスしなければなりません。
今回はその弁護士について調査していく中で、その難しい司法試験に大学在学中に合格し、ロッキード事件の弁護団事務局長となった稲見友之氏について詳しく調べてみました。
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稲見友之氏の経歴
稲見友之氏の経歴を紹介します。都立竹早高校卒業。中央大学法学部を1964年3月に卒業。大学在学中の1963年に24歳で司法試験合格しました。1966年に司法修習修了(18期)し、弁護士登録(登録番号10082)しています。
なんと大学在学中に司法試験に合格されています。難しい過程を経て卒業して2年後には弁護士登録し、弁護士として活動しているのは大変優秀な方なのがわかりますね。
稲見友之氏の所属弁護士会についても
稲見友之氏が所属している東京弁護士会についても調べてみました。東京弁護士会のWebサイトから抜粋してご紹介します。
東京弁護士会は、会員数約8,700人を超える会員数を誇る日本最大級の弁護士会。前身である東京代言人組合の創立から141年以上という長い歴史があります。
長い歴史で積み重ねてきた実績と経験をもとに、「あなたにとって身近な弁護士会を目指しています~基本的人権の擁護と社会正義の実現のために~」というスローガンを掲げ、刑事弁護、子ども、高齢者、障がい者、女性...など、あらゆる分野の人権問題に取り組んでいます。
基本的人権の擁護と社会正義の実現のため、司法制度の改革案や人権問題に対する要望や意見を表明し、法務省や裁判所との協議を進めています。また、市民の皆さまのご意見を弁護士会の運営に反映させるため、市民会議や東京パブリック法律事務所などの活動を積極的に進めています。
東京弁護士会はわたしたち市民が利用しやすいように様々な法律相談サービスを拡充してるんですね。
稲見友之氏の所属事務所
稲見友之氏の現在の所属事務所をご紹介します。
敬天総合法律事務所
〒102-0083
東京都千代田区麹町2-5-4 第2押田ビル2階
【TEL】 0352112470
【アクセス】 東京メトロ有楽町線『麹町駅』
【最寄駅】 東京メトロ有楽町線 / 麹町
稲見友之氏の交友関係
稲見友之氏の交友関係をみていくと元政治家でロッキード事件の弁護団であった保岡興治氏が大学の同級生であることがわかりました。
稲見友之と中央大学の同級生だった保岡興治氏は、ロッキード事件の際、田中(田中角栄)派の2年生議員でした。
田中角栄氏が逮捕・起訴されると、弁護士として田中弁護団の一員に加わり、稲見友之氏を請い訴訟対策を行いました。
保岡興治氏は、日本の政治家であり、元裁判官、弁護士(東京弁護士会所属)でもあります。 衆議院議員(13期)、法務大臣(第69代、第80代)、自由民主党憲法改正推進本部長、裁判官訴追委員会委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長を歴任した人物です。
稲見友之氏は保岡興治氏という心強い学友とロッキード事件で共闘したということですね。
稲見友之が弁護団事務局長を務めたロッキード事件とは
稲見友之氏が弁護団事務局長を務めたロッキード事件とはどのような事件だったのでしょうか。このロッキード事件について詳しく調べてみました。
ロッキード事件とは、1976年(昭和51年)2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件です。アメリカの航空機製造大手企業のロッキード社は旅客機の受注をめぐって日本だけでなく多くの国々で機種選定にからむ贈賄を行ない政財界を巻きこみました。日本では「総理の犯罪」の異名で知られる汚職事件となってしまいます。
この事件は、国内航空大手の全日空の新ワイドボディ旅客機導入選定に絡み、自民党衆議院議員で元内閣総理大臣の田中角栄氏が、1976年(昭和51年)7月27日に受託収賄と外国為替及び外国貿易管理法(外為法)違反の疑いで逮捕されました。その前後に田中元首相以外に政治家2名も逮捕されています。
さらに収賄、贈賄双方の立場となった全日空社長以下数名の役員及び社員、ロッキードの販売代理店の丸紅の役員と社員、行動派右翼の大物と呼ばれ暴力団やCIAとも深い関係にあった児玉誉士夫氏、その児玉氏の友人で「政商」と呼ばれた国際興業社主の小佐野賢治氏と相次いで逮捕者を出すことになります。また、関係者の中から多数の不審死者が出るなど、第二次世界大戦後の日本の疑獄を代表する大事件へと発展しました。
この事件は1976年(昭和51年)2月にアメリカ議会上院で行われた上院外交委員会多国籍企業小委員会(委員長フランク・チャーチ氏の名から「チャーチ委員会」)における公聴会で、ロッキード社が全日空をはじめとする世界各国の航空会社にL-1011 トライスターを売り込むため、同機の開発が行われていた1970年代初頭に各国政府関係者に巨額の賄賂をばら撒いていたことが明らかになりました(全日空への工作費は約30億円だったと言われる)。
さらにその後の公聴会において、ロッキード副会長アーチボルド・コーチャンしと元東京駐在事務所代表ジョン・ウィリアム・クラッターしが、日本においてロッキード社の裏の代理人的役割をしていた児玉誉士夫氏に対し1972年(昭和47年)10月に「(全日空へL-1011 トライスターを売り込むための)コンサルタント料」として700万ドル(日本円で21億円あまり)を渡したこと、次いで児玉誉士夫氏から、小佐野賢治氏やロッキード社の日本における販売代理店の丸紅などを通じ、当時の首相である田中角栄氏に対して5億円が密かに渡されたことを証言しました。このように次々と「工作」が明らかになっていきアメリカとの間の外交問題にも発展しました。
チャーチ委員会での証言内容を受け、日本では検察などの本格的捜査の開始に先立つ1976年2月16日から数回に渡って行われた衆議院予算委員会に、事件関係者として小佐野賢治氏、全日空の社長や副社長、前社長、丸紅会長や専務、専務、ロッキード日本支社支配人の鬼俊良氏などが証人喚問され、この模様は全国にテレビ中継されました。
その後、首相の三木武夫氏がチャーチ委員会での証言内容や世論の沸騰を受けて直々に捜査の開始を指示。同時にアメリカ大統領ジェラルド・フォード氏に対して捜査への協力を正式に要請するなど、事件の捜査に対して異例とも言える積極的な関与を行いました。
捜査の開始を受けてマスコミによる報道も過熱の一途をたどり、それに合わせて国内外からの事件の進展に対する関心も増大したものの、明らかにライバルの田中氏をターゲットにした捜査の急激な進展は、親田中の議員を中心に「国策捜査」として批判されることになりました。
自民党内の反三木派が、事件捜査の進展を急ぐ三木氏の態度を「はしゃぎすぎ」と批判。田中氏と椎名氏が会談し、三木氏の退陣を合意するなどいわゆる「三木おろし」を進め、田中氏、椎名氏、大平氏などの多数派は結束を強めていくことになりました。
その後異例のスピードで田中氏は7月27日に逮捕され、「三木おろし」が再燃。反主流6派による「挙党体制確立協議会」が結成されます。三木氏は9月に内閣改造を行いましたが、田中派からの入閣は科学技術庁長官1名だけ。三木氏も田中氏との対決姿勢を改めて鮮明にしました。
このように事件が公になり捜査が進んだ前後に、ロッキード事件を追っていた日本経済新聞記者の高松康雄氏が1976年(昭和51年)2月14日、児玉誉士夫氏の元通訳の福田太郎氏が同年6月9日、さらに田中氏の運転手である笠原正則氏が同年8月2日と立て続けに急死するなど、相次ぐ関係者の怪死はマスコミや国民の間で「証拠隠滅と累が及ぶのを防ぐため、当事者の手先によって抹殺されたのではないか」との疑念を呼びました。
世界的を巻き込んだ有名な大事件であるロッキード事件をについてお分かりいただけたと思います。
稲見友之氏とロッキード事件の関係について
稲見友之氏はロッキード事件で、田中角栄氏が逮捕・起訴された後、田中派の2年生議員で前述の、中央大学時代に同級生だった保岡興治氏に請われて訴訟対策を行い、弁護団の事務局長に就任しました。
嘱託尋問調書の証拠採用の違法性を主張した控訴審では主任弁護人を務め、石田省三郎氏、淡谷まり子氏、小野正典氏ら左翼系弁護士と共闘しました。
稲見友之氏はこのような大事件の弁護団の一員として奮闘し、弁護団事務局長として活躍されました。大変実力のある弁護士であることがわかりますね。
まとめ
ロッキード事件、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。そんな歴史に残る大きな事件の弁護団として活躍した稲見友之氏についてまとめてみました。
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